2011年08月12日

KGB第1期〜4期

第1期〜4期
 私たち『関西学院大学総部放送局(略称KGB)』は、昭和26年(1951)10月1日放送研究会としてうぶ声をあげました。
その前年、電波3法の施行により、それまでのNHK独占から民間放送に電波が解放され、翌1951年4月21日に民放ラジオ16社に初の予備免許が交付され、9月1日本放送開始という画期的な状況に乗って、放送を自ら研究しようとする十数名が集いました。
大正14年3月に日本の放送史が始まってから、まだ28年しか経っていませんでした。

 創立時は、文芸・報道・技術の三つのパートに分かれ、後に報道部がアナウンス部に改称されたものの、実質的な放送活動ができなかったたために、半年後にはアナウンス部だけになりました。

そうした苦しい時の1952年4月、開局したばかりのラジオ神戸(現ラジオ関西)が「学園放送局」を、のちには朝日放送ラジオも「学園グラフ」という番組枠を関放連(後述)の加盟大学に設けてくだったのでKGBもこれに参加、学内放送はまだ許可されておらず、唯一の放送発表機関として、部員一同はなみなみならぬファイトを燃やして番組制作に当たりました。
その他、新入生歓迎会の司会をはじめ、軽音楽部の定期演奏会の司会など、少しずつ活動の場を広げていきました。
002matumoto.jpg

第1期生のひとり 故松本暢章アナウンサーは、競馬実況中継で有名でした。
 
 しかし、誕生から2年近くは単なる同好会扱いゆえ部室もなく、練習をするたびに教室や会議室はまだしも、多くは倉庫のような地下のじめじめした部屋を、事務方に三拝九拝して借りに行くという苦難の連続でした。
日々の部員の集合場所は関学のシンボルである「時計台」の真下でした。

こうした部員の苦労と熱意がようやく実を結び、念願の文化総部参加の正式な部として認められたのは、創立から2年後の昭和27年(1952)10月で、「文化総部放送研究部」に昇格をみたのは何よりの喜びでした。
ラジオ神戸公開録音ポスター.JPG
昭和27(1952)年6月25日(水)。
中央講堂を満員にしたという伝説の「ラジオ神戸・公開録音」のお知らせポスター、
構成の欄には放送研究会とある。
リズムパレード昭和27年11.29(土).JPG
同じ年の1952(昭和27)年11月29日「リズムパレード」のものは放送研究部とあり、この年研究会から部に昇格したことがわかる。
前列左端 大鳥隆義(1期)、本庄光夫(2期)、故一阿昭夫(2期)
後列左端 田村安起(2期)、中央 南健仁(2期)、中列右端 山本一男(2期) 以下も敬称略

日常の練習教材を印刷する「ガリ版」はもとより、アナウンス練習用のテープレコーダーも借り物という時期を頑張り続けた部員の明るい表情は格別でした。
部室でガリ版刷り.JPG

その後は学内だけにとどまらず、翌年(1954)には関関同立などの放送研究部と交流をはかって「関西学生放送連盟(略称:関放連)」が結成され、放送研究のために切磋琢磨することを誓ったのもつい先日のことのように思い出されます。
 奇しくも今年2011年7月24日被災地3県を除いて地デジ完全移行し、アナログ放送58年の歴史に幕を閉じました。私たち創立期の者は、アナログ放送を満喫した歴史の生き証人といえるかも知れません。 文責 西澤 ワ(4期)
ビッグバンド司会 005.jpg現毎日放送スタジオ.JPG
○軽音学部の司会をする本庄光夫(2期)                ○昭和28(1953)年当時のNJB第2スタジオ
                                        左端 南健仁(2期)、宇多美智子(1期)、ひとりおいて田村安起(2期)、ほか  他大生。

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朝日放送「学園グラフ」と田村安起(2期)関西六大学野球 関学vs関大戦 昭和29年秋のリーグ
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posted by kgb60th at 20:48| Comment(0) | ◎  第1〜4期 | 更新情報をチェックする
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