2011年08月31日

第12期 昭和36(1961)年 入学

 12期の思い出  文責 上田彰  


 私たちが新入生として入部した時は、確か「放送研究部」だったと思っていたがいつのまにか「総部」だ!「部」じゃなくて「局」だと先輩が言い出した。総部ってなんだと、わけもわからず、喜んでいた。

 上級生になるにつれて総部に相応しいことをしようと考える。その中の一つがテレビ放送だ。

1年先輩の方々の奔走で機材を購入、お知らせ、ニュース、なんとスポーツ中継、卒業式中継までやってしまった。学生会館のロビー等におかれたモニターから映像が映し出されたのは画期的な出来事だった。でも金がかかること、学生運動が激しくなっていったため、その後はどうなったのでしょう。

 12期のあれこれ

優秀な人材がそろっていた

  局長:西村昂、渉外:吹田弘 企画:河原良治、総務:水口明彦、アナウンス:上田彰、技術:松尾勝弘

  報道:辻本治男、制作:馬渕哲也、ドラマ:守田正生、等々、あッ!女性は美人ばかりでした。

●夏の合宿   
長野県ばかりだったと思います。妙高高原、高峰高原、それから・・忘れ
ました。「ちくま」を利用してましたね。楽しいおもいでです。

●録音構成コンクール
  
9回関西学生放送連盟主催、録音構成コンクール
3回生の時に「忘れられた教師の重大性」を制作しました
プロデューサー:辻本治男、ナレーター:上田彰、ミキサー:中村信一。
関西学生放送連盟主催録音構成コンクール優勝しかし
全学放大会 2

今は亡きプロデューサーの辻本治男君は関西で優勝した喜び、全国大会で2位になった悔しさを卒業の寄せ書きにかいています。この悔しさが社会に出たらきっと役に立つと。


 
注!音声が小さい場合+をクリック。またDLをクリックするとあなたのパソコンにダウンロード出来ます!
●DJ番組はほとんど洋楽
 今のようなJポップはまだ出現しておらず、日本のフォークもロックもまだまだ。演歌がかかるわけでもなく、自然と学内放送は洋楽ばかり、ジャズやイージーリスニング、シャンソン、カンツォーネ、など、先輩からは洋楽のあれこれを教えていただきました。しかしビートルズがまだ来日前で、イギリスでは男性4人組のバンドがなぜか十代の女性に大人気というニュースが伝わってきた程度。まだプレスリーの時代でした。

●学内テレビ放送開始 
 テレビ放送を開始した。1年先輩の方々の奔走で機材を購入、お知らせ、ニュース、なんとスポーツ中継、卒業式中継までやってしまった。学生会館のロビー等におかれたモニターから映像が映し出されたのは画期的な出来事だった。でも金がかかること、学生運動が激しくなっていったため、その後はどうなったのでしょう。

●厳しい訓練
  
 アナウンス部では毎日厳しい訓練が行われた。2年先輩の林久利さん、1年先輩の斎藤市郎さんの指導のもと、発声発音、滑舌、さらに部室では標準語で喋りなさいと言われて、その辺がむずがゆい雰囲気に。これは今も変わってないかな。

●楽しい部室前の庭
 
ここではキャッチボールだとか、冬はたき火を囲んで和やかな会話が弾んだ。先輩も後輩も男性も女性もここでみんながうちとけあう場だった。

●学生運動の波が近づいてくる

 のんびりした関学だったが、それまで体育会、文化総部等の意見が強かった学生の課外活動だったが徐々に各学部の学生会の動きが活発になってくる。それに伴って総部としての発言をすべく、局長、副局長等は夜中まで会議に出席していた。さらにデモに参加する人も増えてきて、放送局としてはどうあるべきか議論が交わされるようになる。しかしまだまだおとなしいものだった。
 

あと、OAされた番組「スタインベック」プロデューサー:島田共子、アナウンサー:上田彰で残っています。



posted by kgb60th at 10:20| ◎ 第12期 | 更新情報をチェックする
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