2011年09月01日

第19期 昭和43(1968)年 入学

第19期 学園紛争の真っただ中KGB

ともかく資料をご覧ください! 文責 成宮恒雄(19期)

KGBの目的1968
KGBの目的1968年.pdf

「狂人たちと呼ばれて」関学闘争 学生たちの落書き(遺書)
「狂人たちと呼ばれて」.pdf

昭和44年度基本方針
昭和44年度基本方針.pdf

昭和44年夏合宿ミーティング資料
昭和44年夏合宿ミーティング資料.pdf

また、名簿を見ていただくと、この19期がおかれていた状況が垣間見えます。

まず、人数が少ない。次に、アナウンス部とドラマ部がない。

そう、この二つの部が合体し、「アクター」となっていたのです。記憶が定かではないのですが、この期が幹部である3年生、昭和46年にそのような組織になり、卒業までいったのではないかと思われます。

 それは、なぜか。入学後すぐに、学園闘争(資料をみると、学費闘争とあります)の激化があり、総部放送局の立場が厳しく問われた時代であったことが原因です。

毎週、局の姿勢、大学の中の放送局のあり方、闘争への関わりなどを議論するミーティングがもたれ、激論が戦わされました。その中で、局が分裂状態となり、辞めるものが多数おり、卒業時のメンバーが、他の期と比べ半数以下となったのです。

 入部までは、昼の放送ではディスクジョッキーが音楽をかけておしゃべりするようなスタイルでしたが、音楽は影を潜め、学園闘争のニュースや、お知らせといったものばかりでした。

そのような状況で、放送、報道の客観性を信じていた筆者は戸惑い、主張の相容れない者との間で、言葉の壁を感じました。
 
そのような大きな流れはあったものの、信州への夏合宿、担当の音楽クラブの定期演奏会の司会、春の合宿は、学生時代の良き想い出として残っています。


あと、6つの資料がPDF化されていますが、このサイトの貼りつけ可能は25MB以下です。
別サーバーに保管しますのでいましばらくお待ちください!スミマセン!
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posted by kgb60th at 09:47| ◎ 第19期 | 更新情報をチェックする
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